生没 |
1430年〜1488年10月21日。母はわからない。妻は宗兼義の女。 |
生涯 |
従四位下、肥後守。幼名犬丸。法名尖活仍勢。
文教、貿易では大いに成功し、名前は京都にまで届いたこの御仁、しかし残念なことに戦は得意ではなかったようだ。
幕府から筑後守護職の半分を取り上げられ、それが大友氏に与えられたのをきっかけに大友氏と争うが、高良山別所城では弟である肥前守為安を失うなどぱっとせず、結局筑後守護職をすべて失う。
一揆は起こされ本城を危うくするわ、次男には豊福で背かれるわ、ともあれ自分は戦いに向かないと悟ったようで、さっさと重朝に家督を譲り亀尾城に隠居し、自分は得意分野の文教に没頭したようです。なんて往生際の良い…。 |
エピソード |
・領内で一揆が起こり、なんと隈府城が落城寸前に陥った。そこで島津の救援を得てやっと撃退したぐらいしている。文教の効果、あらわれてます?
・次男武邦が豊福城で反旗を翻したが、系図には見当たらないので実際はどうなのかわからない。
・朝鮮や明との貿易で経済力をつけたらしく、受図書人となっている。それをちゃんと民のために使ったのだろうか。 |
関連史跡 |
○お墓
・玉祥寺 ・碧厳寺
○お城
・隈府城 ・別所城 ・豊福城 ・亀尾城
○神社
・春日神社 |