第20代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1430年〜1488年10月21日。母はわからない。妻は宗兼義の女。
生涯  従四位下、肥後守。幼名犬丸。法名尖活仍勢。
 文教、貿易では大いに成功し、名前は京都にまで届いたこの御仁、しかし残念なことに戦は得意ではなかったようだ。
 幕府から筑後守護職の半分を取り上げられ、それが大友氏に与えられたのをきっかけに大友氏と争うが、高良山別所城では弟である肥前守為安を失うなどぱっとせず、結局筑後守護職をすべて失う
 一揆は起こされ本城を危うくするわ、次男には豊福で背かれるわ、ともあれ自分は戦いに向かないと悟ったようで、さっさと重朝に家督を譲り亀尾城に隠居し、自分は得意分野の文教に没頭したようです。なんて往生際の良い…。
エピソード ・領内で一揆が起こり、なんと隈府城が落城寸前に陥った。そこで島津の救援を得てやっと撃退したぐらいしている。文教の効果、あらわれてます?
・次男武邦が豊福城で反旗を翻したが、系図には見当たらないので実際はどうなのかわからない。
・朝鮮や明との貿易で経済力をつけたらしく、受図書人となっている。それをちゃんと民のために使ったのだろうか。
関連史跡 ○お墓
 ・玉祥寺 ・碧厳寺
○お城
 ・隈府城 ・別所城 ・豊福城 ・亀尾城
○神社
 ・春日神社