初代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1029年〜1101年。母は内大臣伊周の女。子・経隆の母が葉室親通の女だから、妻の一人だったのだろう。
生涯  正五位上、大夫将監、大宰少監。菊池一族の「太祖」と称せられる。
 藤原隆家第一の郎党で、父と同じく刀伊来寇を防ぐなど覚えもよかったようだ。
 1040年、長男の政隆(「蔵隆」や「正高」と表記される)が上洛したのを機会に、政隆に確執のあった肥後前国司藤原定任を四条にて襲撃させた。政隆は長刀と弓矢を用いて3人で襲撃し、定任は肩を射貫かれ翌朝死亡した。
 朝廷は大宰府に「政隆を出せやこら」と命じたが、親分の隆家がのらりくらりとかわし、結局は「海上に脱出しちゃった、てへ」とうやむやにしてくれた。
 政則はと言うと、1070年、政隆と一緒に大宰府を脱出して菊池へ向かった(太宰府天満宮赤星荘荘官としてとも言われる)。そして深川に館を構え、菊池姓を名乗った、というのがかつては有力な説だったが、もともと菊池出身という説が現在は有力なようだ。つまり、もともと菊池の土豪で、大宰府に出仕して藤原隆家とつるんで力をつけ、そして政則に家系をつないだと。
 長男・政隆は暗殺で立場を悪くしたので、家督は末弟・経隆が嗣いでいる。

 大宰府から引っ込んだのは正直もったいない気がするが、菊池の名が今でも残っているあたり、怪我の功名なんだろうか。
エピソード ・かつて菊の池ではカエルの鳴き声がそれはうるさかったらしいが、則隆が「かしまし!(じゃかあしい!)」と叱ったら、その後鳴くことがなくなったという。
関連史跡 お墓
○お城
菊之城(深川城)
○お寺
春日寺(岫雲院) ・円通寺 ・妙法寺
○神社(多すぎて漏れがあるかも)
春日神社 ・四宮神社 ・羽根八幡宮 ・田口天満宮 ・玉名大神宮 ・神来貴船神社 ・佐保川八幡宮 ・大宮神社 ・河崎天満宮 ・高瀬天満宮 ・梅林天満宮 ・伊倉北八幡宮 ・肥猪熊野座神社 ・本村熊野座神社 ・瓦屋敷熊野神社 ・四山神社 ・老松天満宮 ・山崎菅原神社 ・田口天満宮 ・護此君神社 ・住吉神社
○その他
菊池氏発祥之跡