| 生没 | 
             ?〜1532年2月13日。母は不明。妻は宗盛頼の女か。 | 
          
          
            | 生涯 | 
             肥後守、左近将監。幼名宮松丸。 
             なんと菊池武澄公の子孫・託麻武安の子。 
             武経がやる気をなくしたため当主が空位になるという大チャンス!そこで一家が託麻家の武包を迎えるというラッキーに恵まれる。おお、ついに武澄公の血筋が当主の座に! 
             しかしそれもつかの間、武包は大友重治らに敗れ守護職を奪われ島原に逃れる。そのまま挙兵をする事もなく島原の大野城で死去したという。 
             菊池の血を引いた最後の当主となった。 | 
          
          
            | エピソード | 
            ・なんといっても武澄公の子孫だ。それだけでうらやましい。 | 
          
          
            | 関連史跡 | 
            ○お城 
             ・大野城 |