第2代当主


0.藤原政則  1.菊池則隆  2.菊池経隆  3.菊池経頼  4.菊池経宗  5.菊池経直 
6.菊池隆直 7.菊池隆定  菊池隆継  8.菊池能隆 9.菊池隆泰 10.菊池武房
 菊池隆盛 11.菊池時隆  12.菊池武時  13.菊池武重  14.菊池武士  15.菊池武光
16.菊池武政  17.菊池武朝  18.菊池兼朝  19.菊池持朝  20.菊池為邦  21.菊池重朝
22.菊池能運   宇土為光 23.菊池政隆   菊池武経 24.菊池武包   菊池義武

生没  1053年〜1105年。母は葉室親通の女。妻は式部少輔則宗の女。
生涯  則隆の子。従四位下、警固太郎、兵藤警固太郎、肥後守。幼名三郎。
 兄貴・政隆が藤原定任暗殺で立場を悪くしたため、家督がまわってくるというラッキーに恵まれる。
 ラッキーはこれだけではない。刀伊の襲撃を撃退したのは政則や則隆の功績だが、なぜか経隆も頑張ったことになっている(『九州治乱記』、志岐氏版『武朝申状』)。これは父と祖父の功績を後世になって加えられたというのが定説らしい。これは西郷、小島を除く一族の祖となっていることから、一族が共有できる祖霊とするために功績が脚色されたと考えられている。それもあってか、とにかく彼を祀っている神社が多いのが特徴。
エピソード ・刀伊を撃退した際(してないけど)、紫縅の鎧をさっそうと身にまとい、白葦毛の馬にまたがり、敵将の足の裏を射て討ち取ったらしい。この高等技術、藤原定任を暗殺したのあんたじゃないの?
関連史跡 ○お墓
出田若宮神社
○お寺
春日寺 ・円通寺 ・妙法寺
○神社
清水若宮神社 ・赤星菅原神社 ・天神平今宮神社 ・四宮神社 ・玉名大神宮 ・須賀神社