針摺原の戦い

写真撮影場所:筑紫野市永岡(「広報ちくしの」で表示された場所辺りを)
 曾祖父母が住んでいた針摺だが、死後初めて車で通過したので車内から撮影してみた。
 そんなこともありこんな写真しかないが、天拝山と宮路岳に挟まれた平地だ(写っている山は宮路岳)。大宰府へ行くにはここを通らなければならないだろう。宝満川も流れているし、戦いが起こりそうな場所だ。
 ということは、一色範氏に攻められて困っている少弐頼尚が立て籠もっていたのは、高良山ではなく大宰府の浦ノ城だろう。でなければ、頼尚の救援に来た菊池武光とここで対峙する意味がない。
 戦いは菊池方の勝利に終わり、以後武家方は勢力を失う。頼尚は「今後刃向かいません」という起請文を出したが、後にちゃっかり裏切り、筑後川の戦いではそれをちらつかされて笑われている。手紙は残るので内容に気をつけましょう。