旦過瀬の戦い

場所:熊本市中央区世安町
 龍造寺、大友、島津の争いに巻き込まれた肥後。隈本城の城親賢は耳川で敗れ弱体化した大友に見切りをつけ、名和氏など反大友勢力を結集し大友寄りの阿蘇氏を討とうとした。阿蘇氏が支配する河尻を狙ったとも言われる。
 阿蘇方は御船城主甲斐宗運が子・隈庄城主親昌を率いて迎撃、白川を挟み旦(丹)過瀬で対峙した。城・甲斐という菊池一族同士の戦いとなったのである。
 現在の世安橋辺りをかつて旦過瀬と呼んでいたらしく、写真は世安橋から新世安橋方面をみた風景である。説明板はここから数10m南にある。
 戦いは城・名和連合軍の隙を突き宗運が渡河攻撃を敢行、勝利した。この時宗運は一騎打ちを挑んできた相手と川中で勝負したという。

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