鯛生岩

場所:日田市中津江村合瀬
 鯛生金山で有名な鯛生の地名の由来に菊池一族が関わっている(かもしれない)。
 1334〜1339年ごろ、ここの豪族だった田島舎人が菊池氏から嫁を迎えることになった。武重公の頃だ。菊池氏は何か珍しいものを贈ろうと生きた雌雄の鯛を引き出物にしたが、この地に着くと鯛が躍り上がり岩石に付着してしまった。雌雄が互いに向き合った岩を鯛生岩と呼ぶようになったのが地名の由来だとのことだ。
 写真上が雄岩だ。雄岩の敷地のご老人によると、写真左下の雌岩はかつて上に被さっていた木が嵐で倒れたときに、何も知らない若い人たちが動かしてどれかわからなくなったとのこと。
 すぐ近くには田島舎人のご子孫の立派な屋敷もあり(写真右下)、付近には年輩の人しかもはやご存じではない「城戸(のなんとか)」という地名もあるという。

 ところで、ご老人によると先祖から聞かされた鯛生岩の由来説は他にもあるとのこと。私の記憶に全く自信がないが、その一つは信濃の豪族が落ち延びてきて腹を切ったときに鯛の木彫りを抱えており、自刃の地が雄岩。ここまでは何となく記憶に自信がある。後にこの地にやってきたその妻が夫が死んだことを知り、a.自らも自害し、それを悼んで地域の人々が祠を建てた場所が雌岩。b.夫を弔うために祠を開いた場所が雌岩。c.そもそも夫の消息がわからず祠を開いて生活した場所が雌岩。三つのどれだったか記憶が全く曖昧だ。メモか録音しておけば良かった。

※雄岩と雌岩が金山の説明書きと逆になっているが、たしかにご老人は残っている方を雄岩と言っていた気がする。