肥後菊鹿鷹取城

場所:山鹿市菊鹿町長
 曲輪と複数の堀切がそこそこ残っている。

 説明板によると、菊池持朝の末子東政祐の築城で、後に隈部親永によって落城したとある。
 一方で、阿蘇品氏の『菊池一族』によると、板井の陣で1381年4月26日に落城した木野城の敗残兵がこの鷹取城に逃げ込んだとあるので、その頃からあったのかもしれない。
 なお、5月1日にすぐ攻撃を受けたという。さらに約10日後には本城が落城しており、ここが無事だったとは思えないので落城したのだろう。